まめた と 武器になる哲学
4月になり、親元を離れ仕事も変えなんとか生きてるものです。
新生活になり一人の時間が増えたので本を読んでみることにしました。
アウトプットの場として僕が読んだ本を紹介できたらなと思います。
真面目なあいさつはここまで。
まじで本を読まずに生きてきてここまでこれたなと思う。
社会人になり先輩や上司に「こんぐらいもわからんのかー!」「話にならん」
とわんさか言われ、悔しすぎて爆笑した。
見ておれ。
本屋に走ってなんかヒントはないのか。
お?武器になる哲学?
武器すらない俺にはちょうどいいぜ。中身も確認せず即買い。
さーーーーーーーーーーーーーと一読。
一部抜粋させていただき自分なりに解釈。
予定説。
今まで聞いたこともなかった予定説。
予定説・・・ある人が神の救済にあずかれるかどうかは、あらかじめ予定されており、
この世で善行を積んだかどうかといったことは、全く関係がない。
へーーーー。
良いことしようが悪いことしようが関係ないってことか。。
そこにマックス・ヴェーバーが全く逆だと主張する。
「全能の神に救われるようにあらかじめ定められた人間であれば、禁欲的に天命を務めて成功する人間だろうと考え、『自分こそ救済されるべき選ばれた人間なんだ』という証を得るために、禁欲的に職業に励もうとした」という主張です。
身近に考えてみると、、
「頑張った人は報われる、成果を出した人は報われる」ではなく
昇進する人、出世する人は「あらかじめ決まっている」ということ。
決まっているならその証を得るために日々コツコツやっていこう!
ということなのか。。
よし心入れ替えて昇進する予定だから仕事頑張ろ。
ただ本を読んで終わりにしたくない。
今日から実践していこうと思います。